「歯を食いしばって努力する」という発想を履き違えている人

努力について考えます。



1. 努力じゃなくて、好きだからやっている

周りの人から見たら「すごいなあ」と思うことでも、

本人からしたら「好きだからやっている」とか「習慣化していて、逆にやらないと変な感じ」ってことがよくあります。

そんなふうに、
「いかに自分の中で自然とやれるか」が成果につながることがあります。

本人からしたら「好きだからやっている」だけなのですが、周囲からしたら「とんでもない努力」に見えるわけです。


2. 嫌々やることは、「好き」には敵わない

嫌々やっている人は、それを好きでやっている人には敵わないものです。

私達の精神力は有限で、根性だけでは限界があります。

毎日つらい思いを続けて、我慢して、嫌々やって人より成功できるのは、漫画の世界だけなのかもしれません。

「継続は力なり」と言いますが、続けるにはそれなりの条件が必要です。

それが「好き」だったり、「習慣化」していることです。

「好き」から来る好奇心や探究心は、嫌々やる努力を軽く超えてしまいます。

「好き」は、努力を努力と思わせないパワーがあります。


3. 「好き」と「習慣化」のパワー

ケーキが好きな人は、行きつけのケーキ屋さんに新しいケーキがあったらついつい買って食べてしまうでしょう。

それは「努力」ではありません。
だって「つい、食べてしまう」から。

でもケーキが嫌いな人はそんなことしません。

2人がケーキ屋さんの取材をするとします。

たぶん、前者の方が良い取材ができるでしょう。

ケーキが好きという気持ちから、自然とお店に対する質問や共感が生まれるからです。


「好き」という気持ち同様に、「習慣化」も大切です。

慣れない仕事は、慣れた仕事よりもストレスを感じやすいものです。

同じ物事でも、続けて習慣化することで心理的な負担は変わります。

「やらないと逆に落ち着かない」まで極めた習慣は強いです。

結局のところ、人は習慣の生き物で、毎日「決意」するより何気なくできることのほうが強みになります。


4. おわりに

私達は小学校とか中学校とか、子供の頃に「嫌なことを頑張るのが偉いこと」という価値観をなんとなく植えつけられます。

でもそれはただ単に「我慢さえすれば」幸せになれるかと言えばちょっと違うわけです。

私達の人生に必要なのは、きっと「我慢」じゃなくて「主体性」なのだと思います。

何か目標があって、その目標のために過程がある。
自分で決めた目標を自分が納得した過程の下で目指すから、楽しい。

たとえ他人から見たら「たいへんそう」な過程でも、
自分からしたらモチベーションが高く楽しんで取り組める。

「努力」というのは他人目線の言葉なのでしょう。

自分目線で言うのなら、それは「好きなこと」とか「やってみたいこと」なのです。


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