ルールを守れば、何をやってもいいわけじゃない?

世の中にはいろんなルールがありますね。
そしてほとんどのルールには、そのルールを破ったときの罰則があります。
また良心的にも、ルールを守ることは望ましいと私達は子供の頃から教えられます。

一方で、世の中にははっきりとルールとして決まっていはいなけれど、なんとなく共通認識として守っている事柄があります。
これらは暗黙のルールと呼ばれたりもします。

暗黙のルールは正式なルールではないので、破っても正式な罰則はありません。
しかし暗黙のルールを破ると、周囲の人間から非難されたり、あるいは裁判で実際に罰則が発生することが日本ではたびたび起こります。


ルールをさえ守れば何をやってもいいのか?


「ルールさえ守れば何をやってもいいのか?」という表現はよく聞きますね。
世の中には暗黙のルールというものがあります。

一般的には、「ルールさえ守れば何をやってもいいというわけではない」というのが常識にあるようです。

だからルールを守っていても、それが違反すれすれのグレーゾーンだと、場合によっては社会から制裁を受ける可能性があります。

私達は、ルール以外のいろんな約束事を気にしながら生きています。


ルールを守ることで自由に行動できる


そういう世の中なので、
「ルールさえ守れば何をやってもいい」という思想は非難されがちです。

けれどもう少し踏み込んで考えると、
「ルールさえ守れば何をやってもいい」というのは、
「ルールを守ることで自由に行動できる」社会でもあるわけです。

スポーツは言葉や国が違っても一緒にプレーできて楽しめるとよく言われますね。
それはスポーツが明確なルールの下でみんながプレーするからです。

もちろん、最低限の礼儀は必要です。
けれど例えば、サッカーではゴールキーパーが届かないような位置にシュートをしようとします。

これは考えようによってはいじわるな発想です。
だってキーパーが取れないようなところにわざと蹴っているのですから。
実際それがいじわると解釈されないのは、
サッカーは相手のゴールにボールをたくさん入れるという明確なルールがあるからです。

しっかりしたルールがあって、それを守りながらそうでないところでベストを尽くすというのは誰もがわかりやすく参加しやすい仕組みです。


「普通ならこう考えるでしょ」という発想


暗黙のルールとは、結局は「似たような価値観の人」同士でしか成り立ちません。

日本は島国です。人種もほとんどが一緒です。
だから自然と似たような人・考えが集まりやすい環境です。
そういう土地柄だと、「暗黙のルール」とか「空気を読む」といったことだけで集団をまとめることもできるかもしれません。

けれど外国では、そうはいきません。
国と国が陸続きで、場合によっては隣近所で話す言語も違う。
たくさんの人種と文化が混ざり合う。
「普通ならこう考えるでしょ」といった発想は通用しないのです。

日本もそうなりつつあるのかもしれません。
価値観が多様化しています。
いろんな情報がインターネットを通じて簡単にその人の目と耳に入ってきます。


ルールに則って行動することを認める


ルールがあるというのを窮屈に思う人もいるかもしれません。

けれど別の見方をすれば、
ルールがあるということは、考え方が違う人同士が同じ目的を共有できるということでもあります。
国や文化が違っても、スポーツの下でなら一緒に楽しめるように。

考え方が違う人同士が何かを共有するには、やっぱり一定のルールが必要です。

そして大切な要素がもうひとつ。それは
ルールを守ってその中で工夫することを認めてあげる姿勢です。


完璧なルールは存在しない


「ルールを守ってれば何をやってもいいわけじゃない」という思想は、
場合によっては「あの人」はいいけど「この人」はダメという発想につながります。

誰ならダメで誰ならいいとかじゃなくて、
ルールに則ってみんなが参加できるほうが物事はシンプルです。

それで不都合が生じたら、
それはルールを改善する機会だということでしょう。

完璧なルールは存在しません。
みんなが実際に運用する中で、ルールは改善させていくべきものです。

だから「ルールのギリギリのところを狙う」というのは、場合によってはルールの改善案を発見するきっかけになったりします。






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