陰口を言う人との付き合い方
陰口を言う人は相手にしないように、わりと適当に接しています。
「別にこの人に嫌われても命を取られるわけじゃないしどうでもいいか」と思うと気持ちが楽になることがあります。
昔、同僚が自分の陰口を言ってるということを別の同僚を介して知ったことがありました。
わりと愚痴が多い同僚ではあったけれど、自分のことは信頼してくれているとどこかで思っていました。
だからこそ、陰口を言われていると知ったときは辛い気持ちになりました。
当然、その人のことを信用できなくなって、人間関係について改めて考えさせられました。
そして気づいたのが、
陰口を言われていることを知る前も知った後も、その人の私に対する接し方は変わってないということです。
当然と言えば当然ですね。
相手は、私が他陰口のことを聞いたことを知らないのですから。
陰口を言う人って、ある意味で社交的な人なのだと思います。
うわべの関係性を壊したくないから、直接は批判をしない。
対面しているときは感じ良く接する。
私の陰口を言っていたということは、何かしら嫌いなところがあるからなのでしょうが、それでも普段は社交的に私と接してくれます。
陰口を言うような人に嫌われても、日常生活は別に普通に送れるものです。
友達は他のところにいればいい
嫌いな人を殴ったり蹴ったりしてくる人。
こういう人に嫌われるとたいへんです。
実害があるからです。
けれど、裏で悪口を言うけれど表では感じ良くする人に嫌われても、別に日常困ることはありません。
陰口を言う人に嫌われても嫌われなくても、表の関係性は変わらないのである意味で楽です。
向こうが勝手に社交的にしてくれたり距離を置いたりしてくれるので、こっちは気を遣わなくて済みます。
私は信用できないと思う人とは友達になりたいと思わないので、陰口を言う人と無理に友達にならなくてもいいかなと思っています。
友達が欲しいなら、友達になりたい人と友達になればよくて、無理に「その人」と友達になる必要はないのです。
だから陰口を言う人とは「そこそこの関係」でやれればいいです。
「そこそこの関係」程度なら、多少嫌われても維持できます。相手が社交的だからです。
ルールを守る関係性
人によっては、陰湿な嫌がらせをする人もいるかもしれません。
けれど、日常生活に危害を加えあり仕事が滞るようなことをされれば、それは法律や就業規則で罰してもらいます。
陰口を言ったり陰湿な考えを持っている人とは、「そこそこの関係」だけ築けばいいと思っています。
そしてルールさえ守ってくれれば「そこそこの関係」は維持できます。
逆にルールを守る以上のことはこちらも求めません。
ルール以上のこと、例えば「親切にし合う」とか「助け合う」とかは、友達とすればいいのです。
おわりに
生きていく上で何かを「気にできること」は大切です。
一方で、「気にしないこと」も大切なのだと思います。
世の中にはいろんな人がいて、自分から見たら信用できない人もいます。
けれど、そういう人達を気にしなければ、いくぶん楽になります。
相手を嫌う必要はなくて、嫌われることを気にしないだけで、生きることは少し楽になります。