「幸せ」について考えます。
私達がより幸せに生きていくためには日々どのようなことを心がけたらいいのでしょう?
当たり前ですが、
幸せに生きていく上で
「幸せだと感じることができる」
ということは大切です。
世の中に絶対的な幸せはありません。
何をどのくらい幸せと感じるかも個人差があります。
心理学の世界では、
「何をどのくらい幸せと感じることができるか」も能力だと考えます。
「何をどのくらい幸せと感じることができるか」という能力は、
他の才能と同様で遺伝で決まる側面と環境で変わる側面があります。
よく「不幸体質」なんて言ったりしますがあれはあながち間違っていなくて、
何気ないことで幸せを感じることも才能ですし、
何かにつけて不幸にネガティブに考えてしまうのも遺伝や環境のせいだったりします。
人は今より幸せになろうと考えるとき、
「今ないものを持ちたい」と考えがちです。
お金が欲しい。
そのお金で○○を買いたい。
恋人が欲しい。
結婚したい。
もっとやりがいのある仕事につきたい。
休みがほしい。
幸せになるために何かを得ようと努力することは悪いことではありません。
しかし何かを得えようと努力することと並行して、
自分自身を変えなければ幸せは手に入らないのかもしれません。
自分の置かれている環境を変えることと、
自分自身の内面を変えることは
幸せになるための両輪でどちらも必要です。
自分自身を変えるとはどのようなことでしょう?
それは幸せの感じ方を変えることです。
幸せを感じるアンテナを整備することです。
アンテナが錆ついていたら適切な電波を受信できません。
アンテナは感度が良すぎても悪過ぎてもいけません。
幸せの感じ方も一緒です。
例えばあなたがアイスが好きだとします。
アイスは100円の手ごろなものもあれば、
ハーゲンダッツのようにコンビニで買うと300円くらいするものまでピンきりです。
あなたが今までずっと100円のアイスを食べていたとして、
はじめて300円のアイスを食べたとします。
あなたは300円のアイスに感動するでしょう。
そのあと100円のアイスを再び食べたとします。
そこでの感じ方は人によって2通りに分かれます。
「300円のアイスを食べたら、100円のアイスはもう食べられないな」と思う人。
「300円のアイスはおいしいけど、100円のアイスもこれはこれでおいしいな」と思う人。
前者は「100円のアイスがおいしい」という価値観が「300円のアイスの方がおいしい」という価値観で否定されてしまいました。
この人にとって「おいしいもの」という価値観は常に一つで、対象がその都度移動しています。
後者は「100円のアイスがおいしい」という価値観に「300円のアイスの方がおいしい」という新たな価値観が加わりました。
この人は経験を重ねる中で「○○はおいしい」「○○もおいしい」と価値観が広がっていきます。
より幸せになれるのは後者です。
自分が幸せを感じる価値観を、移動するのではなく広げていける人がより幸せになれます。
価値観を移動していく人は、「もっと高級に」「もっとたくさん」ときりがありません。
それなのに同じ幸せを感じるためのコストは上がっていきます。
価値観を広げていける人は、経験が幸せに直結します。
「今も幸せ」で「明日はもっと幸せ」という良い循環が続いていきます。
これは物に限ったことではありません。
人との関係にも通じます。
新しい人と出会ったときに、その人が素晴らしい人だったとき、
「○○さんは素晴らしい。それに比べて△△さんは・・・」と比較してしまう人。
以前は△△さんとも仲が良かったのに。
「○○さんは~なところが魅力的」「△△さんは~なところが好き」
そう思える方が人との付き合いは楽しいものです。
人の良いところを見つけることができる人は幸せです。
人の良いところを見つけることは、比べることではありません。
物との付き合い方も、人間関係も、共通しています。
比べるのではないのです。
それ自体を認めることです。良いところを見てあげるのです。
「○○は良い」「○○も良い」なのです。
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