幸せの種類

幸せな日々を送れたらと誰もが願っていますが、
「幸せ」とは何かと考えるとその実態がいまひとつつかめないものです。

人の幸せは大きく3種類に分けられます。

今回は幸せの分類を見ていきます。


感情の幸せ


1つ目が「感情の幸せ」

これは一番わかりやすい幸せで、
「幸せと感じる」ことです。

おいしいものを食べる。
ゆっくりと入浴する。
ベットに横になる。
恋人とのやすらぎの時間。
愛するわが子の笑顔。

目の前の事象に対して純粋に「嬉しい」「心地よい」といった感情を感じること。

「感情の幸せ」は3つの幸せの中で最も基本的な幸せです。

最も基本的な幸せではある一方で、最も言葉で説明しにくい幸せです。
なぜなら「そう感じる」ことが感情の幸せだからです。



道徳の幸せ


「道徳の幸せ」は、「~だから幸せ」という類いの幸せです。

哲学者のジョン・スチュアート・ミルの有名な言葉があります。
「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがいい」

この言葉に「道徳の幸せ」は集約されます。
誰しもが健康で文化的な、人間らしい人生を歩みたいわけです。

コンビニで適当に買ったパンでも空腹を満たすことはできますが、
丁寧に家で調理した食事は意味が違ってきます。

同じ給料でも、やりがいがあり人から感謝される仕事は有意義に思えます。

私達は感情的な幸せだけでは虚しくなるものです。
そのときに人は人間らしく生きることを求めます。



判断の幸せ


3つ目が「判断の幸せ」です。
「判断の幸せ」は「~なら幸せ」といった類の幸せです。

例えばあなたに子供がいて、子供がうっかり道路に飛び出したとします。
あなたは必死に走って助けます。

結果、子供は助かりましたがあなたは怪我をしてしまいました。

あなたの怪我は、それ自体は不快なことであり不幸せなことです。
あなたは怪我をしたかったとも怪我をしてうれしいとも思っていないはずです。

しかしその一方で、子供が助かってよかったと思っています。
別の日に子供が元気に笑顔で走っている姿を見て、
「あのとき助かってよかった」と心から安堵するでしょう。

そのときあなたは
「自分が怪我をしたことは嫌だけど、子供が助かったから嬉しい」と思います。
これが「判断の幸せ」です。

判断の幸せは、
必ずしもその事柄自体は幸せなこととは限りません。
しかし状況によって幸せだと判断できるケースです。

自分はそんなに興味がない飲食店だけれど、
恋人が嬉しそうに食事をしているところを見て満足している。
こういうのも判断の幸せになります。


まとめ


3つの幸せのうち、どれが最も大切といったことはありません。

おそらく人の幸せは、
3つの幸せがバランスよく含まれた状態のことを指すのでしょう。

バランスよく含まれるとは、3つが同じ度合いでという意味ではありません。

人によってどの幸せにウエイトをおくかは違います。
それはその人の価値観です。

感情:道徳:判断の比率が
10:10:10の人もいれば、
20:5:5の人もいるでしょう。

幸せのバランスの形は人それぞれあり、どれが正しいということはありません。
自分が何を重視するかを自覚し、そのバランスを満たせるよう日々を過ごしていくことが大切なのです。

あなたの幸せのバランスは、どんな形でしょう?






【参考文献】
ダニエル・ギルバート『明日の幸せを科学する』早川書房、2013年