1. いつしか自分も老害になる
「老害」という言葉があるように、
年齢を重ねると自分自身が若い人にとっての「煙たい存在」になってしまったりします。
年齢を重ねて、いつしか職場で若い人が自分の顔色をうかがっていたりします。
少し前までは、自分が上司を煙たがっていたのに。
「社会はそんなに甘くない」なんて言い方がありますね。
その、なんだか厳しくて融通がきかなさそうな「社会」を作っているのが、自分だったりします。
2. 部外者意識を持ってると老害になる
社会に不満がある場合、「その社会を作っている一人は少なくも自分である」と自覚することは戒めとして大切です。
私達は集団の中にありながら、多かれ少なかれその集団に不満を持っていて、「こうすればいいのに」とか「なぜ○○しないんだろう」とか考えます。
そのとき、人はついつい「自分 対 集団」という構造で考えがちで、自分がその集団に属していることを忘れてしまいます。
私達は、自分が好む好まざるに関わらず、自分が属する集団の気質を作っている一人なのです。
3. 同じところにとどまれば、必ずいつか年長者になる
会社にはいろんなルールや慣習があります。
入社してしばらくすると、古い人達のしきたりや考え方が堅苦しくて窮屈に感じることがあります。
飲み会で、上司のセクハラまがいの発言や老害的な価値観を聞くたびに、愛想笑いをしつつも心の中では引いてしまう自分がいることもあります。
そしてついつい、「この会社はダメだなあ」と思ってしまう。
けれど不景気な世の中だから、仕事を辞めないでその会社に居続けることもあります。
そうなってくると、自然と「新入社員」だった自分が「先輩」になります。
場合によっては役職がついて自分が「上司」なります。
先輩だったり上司になると、新人の頃よりも会社の経緯や人間関係がわかってきます。
「こうしたら上手く立ちまわれる」といったよくわからない知恵がついていきます。
そんな頃、そういう「上手く立ちまわる」ことを知らない若い後輩ができたりします。
先輩(あるいは上司)である自分は、後輩に親切な気持で「社会のマナー」とか「会社のしきたり」なんてものを教えます。
一方で、そういう「社会のマナー」とか「会社のしきたり」を知らなさすぎる若者を見て、呆れてしまう歳をとった自分がいます。
年長者になった自分って、もしかしたら若い人たちからみたら「常識」や「礼儀」にうるさい人の一人なのかもしれません。
4. 老害にならないために心がけること
そんな感じで、自分が老害にならないために心がけることを、自分の戒めとして書いておきたいと思います。
・自分も集団に属している1人だということを忘れない。
・若者の意見は否定するのではなく、肯定的に協力する。
・自分の「常識」が遅かれ早かれ使いものにならなくなることを覚悟する。
・でも結局、歳をとれば誰もが(自分も)若い人からみたら煙たい存在でしかないことを受け入れる。
4つ目がけっこう重要で、「こうすれば老害にならない」という方法論を作った気になると、「自分は老害じゃない」というまさに老害的な発言をしてしまいがちです。
結局のところ人は老害になるので、歳をとったら謙虚に身を引くという姿勢が必要なのかなと思う今日この頃です。