「平等」とはなんなのか?ということについてです。
平等とは?
平等とはなんなのでしょう?
この問いに対して、
平等とは「そのものの性質をそれぞれが存分に発揮してる状態」
という考えに個人的に同意しています。
この考え方は政治哲学などでしばしば言われる考え方です。
要するに、
各々が自分の得意なことで力を発揮できている状態が平等であるという考え方です。
以下、もう少し詳しく。
量の平等
平等という言葉を聞いてはじめに思い浮かぶのが「量の平等」なのではないでしょうか。
つまり、10人の人がいて、目の前に10個の物があれば、1人1個ずつ配るのが平等とする考え方です。
この考えはわかりやすくて便利です。
けれど、量の平等はみんなが「同じ」でないとなかなか成立しないものです。
たとえば、10人の人がいて、10個のパンがあったとします。
量の平等で言えば1人1個が平等でしょう。
けれど、この10人の中にはお腹が空いて今にも死にそうな人がいる一方で、お腹一杯でパンをもらってもすぐに捨ててしまう人もいるかもしれません。
そうやって個々の状況が違う中で、一律に量を平等にしてもみんなが幸せになれるとは限りません。
このたとえで言えば、本来はお腹が空いている人に多めにパンをあげたほうがより幸せになることができます。
質の平等
「パン」というのは食べ物です。
食べ物は誰かが食べてそれが栄養になってはじめて意味を成します。
つまりパンはおいしく食べて栄養になってもらえる人の手に渡ることが最も望ましいわけです。
パンを本当に必要としている人にあげて、パンをいらないと思っている人には無理にあげない。
パンを1人1個必ず渡すことを「量の平等」とするなら、
パンを必要な人にあげるという行為は「質の平等」でしょう。
みんなが幸せになるためには、「量の平等」より「質の平等」を見つめる方が有意義だと考えます。
まとめ
「質の平等」とは「そのものの性質をそれぞれが存分に発揮してる状態」にすることです。
「パン」であれば、それを欲して食べることで栄養にできる人の手に渡ることです。
人であれば、「自分の得意なことで力を発揮できている状態」のことです。
たとえば、会社に接客が得意で接客がしたい人と、パソコンが得意でデスクワークがしたい人がいたとします。
この人達に接客業だけをさせるのは「量の平等」かもしれません。
けれど、接客が得意な人に接客業を任せて、デスクワークが得意な人にデスクワークをやってもらえば個々の力が発揮されるし2人とも得意なことができて幸せです。
このとき、二人は「仕事内容」としては同じじゃないので平等ではないかもしれません。
けれど、「得意なことを活かして社会に貢献する」という意味では同じであり、平等です。
このように、個々の存在を尊重するかたちで平等を求めることが、幸せにつながります。
個々を尊重するには、量ではなく質で平等を考える必要があると思います。