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「内海将」はいらなかったのか?
アニメ「SSSS.GRIDMAN」において微妙に役立たず的な評価をされている「内海将(うつみしょう)」。
裕太のようにグリッドマンになって戦うわけでもなく、
六花のようにアカネの内面に関わるわけでもなく、
なみこやはっすのように脇役に徹するわけでもなく、
微妙な立ち位置の「内海将」。
しかし個人的には
あえて戦闘要員にならず、裕太を日常場面で支えた内海の存在は大きかったと思います。
今日は「SSSS.GRIDMAN」の内海について
内海という登場人物の魅力
「一般人役」がいる作品はいい作品
アンチ「誰だお前は?」
内海「一般人だよ。お前達がいつも足で踏みつぶしている、一般市民の代表だよ」
(中略)
「怪獣が暴れれば、多くの人が犠牲になる。
だが、俺は、怪獣とグリッドマンの戦いを楽しんでいたのかもしれない。
俺だって最低だ」「SSSS.GRIDMAN 第11話」(Abema TV)より引用
個人的に、安易に強いキャラや重要な力を持ったキャラばかりで物語を固めず、きちんと「一般人役」を配置している作品はいい作品だと思います。
よくあるパターンで、主人公と仲が良い友人が、物語中盤や後半で特別な力を授かって友人も戦闘要員になるようなパターン。
悪くはないのですがやはりちょっと安易な展開だなと思うわけです。
第一線で戦うキャラ、華やかな力や見せ場があるキャラだけじゃなくて、その影でその物語を目の当たりにしている特別でない「一般人」をきちんと掘り下げているのか。
そういう意味では、一般人代表枠である「内海」は物語の深みを作ってると思います。
裕太の日常を支えた内海の功績
記憶喪失により学校生活はおろか自分の家の場所すらわからない裕太の日常を支えた内海の功績は大きかったと思います。
記憶喪失の裕太には、日常のことを教えたり一緒に行動を共にしてくれる解説役みたいな人が必要で、それは内海が適任だったかなと。
恋人ではない六花がそれをやるのは不自然ですし、
仮に「六花が裕太を支える中で二人の距離が縮まる」みたいな恋愛路線に本編をもっていくと、せっかくの六花とアカネの友情の描写が薄まってしまう。
友達思いな内海
六花「おい!あのさあ、内海君は響君のなんなの?」
内海「なんなのって・・・俺は、裕太の、友達だよ!」「SSSS.GRIDMAN 第12話」(Abema TV)より引用
「役に立つ」とか「役に立たない」とか、「戦える」とか「戦えない」ではなく、内海は裕太にとって純粋に「友達」でした。
戦闘に直接関われないことに内海自身は葛藤する場面もありましたが、裕太やグリッドマンにとってはそんなこと関係なく「支えてもらった存在」だったわけです。
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