日本は空気を重んじる文化だとよく言われます。
なんでもはっきりズバズバ言うのではなく、相手を思ってオブラートに包んで表現する。
日本語は英語などと違って結論が最後にくる文法構造です。
文化が先か言語が先かはわかりませんが、
いずれにせよ、日本はあえて言葉に出さず、雰囲気で察しないといけない局面が多いです。
1. はっきりと物事を言うべきか否か?
なんでも言葉にするんではなく、相手を思いやって雰囲気を読んで行動する。素敵なことだと思います。
けれど一方で、言いたいことを常に胸の内に貯め込んで、言いたいことを言わないってどうかなとも思います。
言ってくれなきゃわからないことって、人間同士だからあると思うわけです。
私達は、はっきりと物事を言うべきなのでしょうか?
それとも言わないべきなのでしょうか?
2. 「空気読めよ」と一人で怒っている人
村上春樹さんの小説に、
「言わなきゃわからない人は言ってもわからない人」というような表現があった気がします。
確かに心当たりがあるわけです。
わざわざ言わなきゃいけない人って、言ってもピンとこないことって多い。
だから、「いかに空気を察することができるか」って重要で、そう考えると「はっきり物事は言うべき論」は正しくないようにも思えます。
けれど一方で、はっきり言うことでわかり合うことができるという状況も確かにあるなあと思うわけです。
言いたいことを言わずに、「空気読めよ」と一人で怒っている人をみると、「めんどくさい人だなあ」と思ったりもします。
3. いろんな価値観を持つ人たちが仲良く暮らすため
日本は島国で、単一民族の国です。
似たような人が多いから、似たような考え方も多い。
けれど外国は、特に大陸の国は、いろんな人種やいろんな文化をもった人達が共存しています。
いろんな価値観を持つ人たちが仲良く暮らすには、ルールを決めたり言葉に出して確認し合ったりする必要があります。
日本はたまたまそういう「文化や価値観のすり合わせ」みたいな機会が少なかったのかもしれません。
「空気を読むべき」「言われなくても察するべき」というのは、ある意味で、自分達と違った考え方を否定する行為でもあります。
そう考えると、言いたいことははっきり言って、互いの共通認識を増やしていくほうがみんなで幸せになれるのではないかと思います。
4. 自分とは違った人と価値観を言葉で確認する機会
似たような人とばかり過ごしていたり、歳を重ねていくと、自分とは違った人と価値観を言葉で確認する機会が減っていきます。
そうなると、「相手に察してほしい」ばっかりになってしまうことがあります。
言いたいことははっきり言う。
相手を尊重し、相手の考えを聞く。
自分が知っていること・わかっていることを、相手も知っていて当然と思いこまない。
そういったことに気をつけたいものです。