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青ブタ「シュレディンガーの猫」の解説
アニメ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」にて出てきた「シュレディンガーの猫」という考え方。
SFや哲学、科学系の本やアニメが好きな人は知っている人もいるでしょうが、初めて聞く人は「?」って感じですよね。
双葉も猫の模型を使って気持ち丁寧に説明してくれてますが、やっぱり尺の都合でかなり端折られた感は否めません。
「シュレディンガーの猫」とは、
「世の中のには予想できないことが起こるよね。なんでかと言うと、私達は自分のこの目で見るまでそこで何が起こっているか知ることができないから」
という考えを説明するための思考実験です。
以下、もう少し詳しく。
「シュレディンガーの猫」とは?
「シュレディンガーの猫」の内容
「シュレディンガーの猫」とは、シュレーディンガーという人が言った思考実験です。
要するにたとえ話です。
実際に猫を使った実験をしたわけじゃありません。
アニメでもネットの「シュレディンガーの猫」の解説でも、放射性物質がどうのこうのとありますが、
要するに、
「中に居たら2分の1の確率で死んでしまう箱に、猫を入れました。今、猫はどうなってると思う?」
ということです。
普通の感覚であれば、
「2分の1の確率で生きている」ですね。
しかし、シュレーディンガーさん的には、
「生きている猫と死んでいる猫が両方います。あなたが箱を開けて中身を見ると、どっちかだけになります」
という話。
「はあ?」という感じですね。
「シュレディンガーの猫」とはこの「感覚では納得できない解釈を納得しないと、世の中のことの説明がつかないよ」というシュレーディンガーさんの例え話なわけです。
「シュレディンガーの猫」からわかること
先ほどの猫が入ってる箱に対して私達が思ったように、
私達は「自分が知らないだけで、事実はすでに決まっていて、その事実を見ることで確認している」と思いがちです。
つまり、
「私達が見ようが見まいが、事実は1つですでに決まっている」という感覚です。
これに対しシュレーディンガーさんは、
「なんで見てもいないのに事実が1つと決めつけているの?私達が確認できていないだけで、事実が複数あるかもしれないよ」
と意見するわけです。
ちょっと屁理屈っぽいですね。
「シュレディンガーの猫」と私達の生活
少し話が変わって、「運命」について考えてみます。
「私達が見ようが見まいが、事実は1つですでに決まっている」のであれば、私達の人生もすでに決まっているのでしょうか?
つまり、私達の人生は生まれた瞬間から何歳まで生きて何歳までに結婚して、今日の夜食べる晩御飯の最初の一口は何から食べるかまですべてすでに運命として決まっているのでしょうか?その事実はすでに1つなのでしょうか。
こういった疑問に対して、
「いや、生まれた容姿や家柄とかで多少は人生に影響はあるかもしれないけれど、何から何まで決まるってのは極端でしょ。ましてや、『今日の夜食べる晩御飯の最初の一口』なんて別に決まってるものじゃないし、そんなの『そのときになってから決まる』でしょ」
と思うのではないでしょうか。
そうです。
もしも事実が1つなら、全ての物事は予想できてしまいます。
一方で、
私達が普段、感覚として持っている「自分で選んでいる」という感覚は、「シュレディンガーの猫」でいうところの「事実は複数あって見るまではそれが確定しない」という論を肯定しないと成立しない感覚なわけです。
これが「シュレディンガーの猫」という思考実験の意図です。
「シュレディンガーの猫」の思春期症候群の関係
麻衣は思春期症候群により次第に周囲の人々に認知されなくなります。
しかし終盤まで咲太や一部の人間には認知されていました。
他者に「認知される麻衣」と「認知されない麻衣」という2つの状態が混ざり合っているわけです。
おわりに
以上のように、なかなか抽象的で複雑な「シュレディンガーの猫」という考え方。
まあ、いずれにせよ、
「人は自分が見たものを真実だと思う」というのは1つの教訓だと思います。
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