涼宮ハルヒの憂鬱、アニメ2期、第8話、「笹の葉ラプソディ」。
物語最後の方。チェスをしながらのキョン、長門、古泉の会話に関してです。
「笹の葉ラプソディ」終盤の疑問
以前、「過去と未来に連続性はない」と言っていたみくる。
けれど、「笹の葉ラプソディ」の一件はその後のハルヒに影響を与えた様子。「過去と未来の連続性」を示唆しています。
キョンは、「過去と未来には連続性があり、朝比奈さんの説明と矛盾する」という疑問を持ちます。
このキョンの疑問に対し、長門は「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できないから」と説明します。
どういう意味でしょう?具体的にみてみます。
「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できない」の意味
みくるは3年前の七夕の日にタイムトラベルしたとき、大人版朝比奈さんを見てしまわないように眠らされてしまいましたね。
このことから、みくるの状況は
①自分の未来がわからない範囲ならタイムトラベルできる。
②自分の未来ががわかってしまう未来にはタイムトラベルできない。
という2つの原則がわかります。
けれど、この2つに原則には矛盾が生じます。
なぜなら自分の未来がわかってしまう状況になると周囲(大人版朝比奈さんなど)がそれを回避してくれる。だから自分は未来を知らずにいる。
だったら理屈としてはみくるはどんな未来にでも行けることになってしまいます。
でもそれは②の「行けない未来が存在する」ことに矛盾しますね。
つまり、
①と②はそれぞれ単独では矛盾していません。
でもこの2つを同時に満たそうとすると矛盾が生じてしまうわけです。
以上を念頭に置いて、
「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できない」
というのをもう少し砕けた表現にしてみます。
「矛盾がないルールを集めたものは、ルールが集まったがゆえに生まれる矛盾を説明できない」ということです。
古泉がキングを胸ポケットに入れた意味
続いて、古泉がチェスのキングを胸ポケットに入れるくだり。
ここを考えてみます。
王手をかけられたチェスを胸ポケットに入れればチェックメイトにならないで済む。
これに矛盾はありませんね。
でも「いや、そんなこと言ったらなんでもありじゃん!」って話ですよね。
これをみくるやタイムトラベルに当てはめてみましょう。
みくるは
①自分の未来がわからない範囲ならタイムトラベルできる。
②自分の未来ががわかってしまう未来にはタイムトラベルできない。
と仮定します。
でも、みくるがタイムトラベルした時点でみくるは自分がタイムトラベルしたことを知ってしまいますね。
事実、大人版朝比奈さんは自分がしたタイムトラベルをいろいろ自覚している様子。
これは①に矛盾していますね。
でも、「大人版朝比奈さんはまったく例外!大人版朝比奈さんならなんでもありなんだ!」
と言ってしまえば何も矛盾しませんよね。
でも、それじゃあ「いや、そんなこと言ったらなんでもありじゃん!」って話ですよね。
つまり、矛盾のない説明をすることははしばしば乱雑な解釈をしてしまうことがあるのです。チェスの駒をポケットに入れるように。
以上を踏まえて、古泉は、「キングに対して値打ちはない」「より重要性があるのはあくまでクイーン」と言っています。
クイーンとはハルヒのことを指しています。
古泉および機関にとって、過去や未来に連続性があるとかないとか、矛盾があるとかないとかより、涼宮ハルヒの動向とそれに伴う世界の状況のほうが重要であると言っているわけですね。