1. 物の使い方が雑な人は、人への接し方も雑
「物の使い方が雑な人は、人への接し方も雑だなあ」と思ったりします。
こういう、「~が~な人は、~も~」という決めつけ方って、あんまり好きではないのですが、そういう規則性を感じる自分も否定できないわけで。
新しい物にすぐ飛びつく人って、人間関係もやっぱりとっかえひっかえって感じでしょうか。
1つの物を長く使えない人って、あんまり長期的に人との関係を維持できなかったり。
反対に、何気なく物を長年使っている人は、自然と数十年続く友人がいたり。
人間関係に対する自分のスタンスが、物の扱いで露骨に出たりするわけですね。
2. 目の前の物事にどう対応していくか
物の扱いにせよ、人間関係にせよ、目の前の物事にどう対応していくかということが肝になるわけです。
どんなに好きな物でも、あきたり流行にそぐわなくなるときはくるわけです。
どんなに初対面の印象が良かった人でも、接する中でまた違った側面がみえてくるわけです。
そうやって、
時間の流れの中で自分が思っていた状況からズレていくとき、どんなふうに接し方を軌道修正できるか。
そこで柔軟に対応するというのも1つの方法でしょうし、
見切りをつけてすぐに捨てるというのも1つでしょう。
いずれにせよ、
惚れっぽい人は物にも人にも惚れっぽい。
すぐ飽きる人は物にも人にもすぐ飽きる。
うまく対応して長く付き合う人は、物も人もそこに長く留まる。
物にも他人にも、その人がやってることは方法論としては同じなわけです。
3. 物を大切にすることで、人を大切にできる
「物の使い方」と「人への接し方」はリンクするということは、逆に考えると物を大切に扱うことを心がけることで、人間関係も変わっていく可能性があるということです。
人と接するより、物を扱うほうが簡単なわけで、
物を大切にすることは、人を大切にする練習になるのかなと思います。
「高価な時計だから」ではなく、「親がお祝いにプレゼントしてくれた時計だから」と人の思いに着目して物を大切にできる人は、
「社会的地位が高い人だから」ではなく、「人を思いやる優しい人だから」と人の内面を思うことができるかもしれません。
物も人も、その内面とか背景を思える人は豊かな人生を歩めるのではと思います。
4. まとめ
息子が母の日にくれた手紙
恋人がくれたプレゼント
家族の写真
人は同じ物でもそれにどんな思い出があるかで大切にする気持ちが変わります。
それはただの「物」ではなく、何かの思いが宿った「特別な物」と感じます。
こういう人間の心理を本質主義と言ったりします。
本質主義は人の幸福に密接に関わっています。
「ただの下手な字が書かれた紙」と思うより、「愛する息子が一生懸命、自分の隠れて書いた手紙」と思えたほうが人生は幸せです。
物を大切にしたり、人を大切にすることは、豊かな本質主義的思考があることでもあります。