自分が先輩だったり上司だったり、あるいは特別な状況だったりすると人に食事をごちそうするときがあります。
不景気な昨今、食事を全部おごるというより「ちょっと多めに出す」くらいのほうが機会として多いかもしれません。
しかし心理学的には、
「お金を多く出す」場合は「全部おごる」場合と比べると出した金額の割に相手の感謝は少ない傾向にあります。
「お金を多く出す」行為はコスパが悪いのです。
例えばあなたが30kgの荷物を持っていたら1kgの荷物が増えてもそこまで負担を感じることがないかもしれません。
しかしあなたが1kgの荷物を持っているときに1kgの荷物が増えたら突然倍になったと負担に感じるかもしれません。
このように、同じ変化の程度でも状況によって感じ方が変わっていくことを「感応度の逓減(ていげん)性」と言います。
感応度の逓減性は一般の「感覚が麻痺していく」という表現と似ています。
財布の中に100円しか入っていないとその100円を使うことにドキドキしますが、
100万円入っていたら100円使うことに大したためらいはないでしょう。
まず「感応度の逓減性」という観点から「お金を支払う」という行為を考えてみましょう。
あなたが食事で0円の場合と1千円払う場合は感じ方が大きくことなります。
なにせ0円というのは無料なのですから。
しかし1千円払う場合と2千円払う場合は、0円と1千円ほどの落差を感じないでしょう。
多少、支払う額が増えても、お金を払っている時点で感じ方は対して変わらないのです。
0と1の隔たりは大きいものです。
価格が1円のものと2円のものは大して変わりません。
1円で買おうと思った人は、2円でも買うのです。
しかし0円と1円は同じ1円差でも大きな隔たりです。
無料ならもらおうと思った人も、「これは1円です」と言われた途端に「じゃあいらない」になります。
支払が発生するというのは感情のハードルが大きいのです。
まとめます。
おごられる側からしたら、おごられてその場の食事が「無料」になったらそのありがたみは大きいです。
しかし1円でも支払えば、金額がいくらだろうと「支払った」という感覚は残ります。
感謝や印象の大きさは
おごられる>>>多めに出してもらった>割り勘
といったところでしょうか。
多めに出すなら、もうひと押し財布からお金を出すほうが相手の感謝は出した金額の割に大きいのです。
さらに支払う方も、
どうせ多めに出すなら全部おごっても多少相手に支払ってもらってもそんなに痛みは変わりません。
相手のことを思って食事をごちそうしたいと思ったら、
多めにお金を出すよりいっそおごったほうが人間関係のコスパはいいでしょう。
【参考文献】
ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』早川書房、2013年