「SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)」第9話、「夢・想」のレビューや感想。見どころなどを解説します。
ネタバレを含みますのでご了承ください。
【目次】 [close]
第9話「夢・想」のレビュー
- 精神的に追い詰められていくアカネ
- パワードゼノンの登場
この2点が主だった第9話。
「アカネを救うことが非常に重要なんだ」という思いが裕太達および視聴者に深まった回だったのではないでしょうか。
また、前回の第8話でフルパワーグリッドマンが登場したので、
今回の第9話からオープニングにフルパワーグリッドマンのシーンが加わりましたね。
第9話「夢・想」のあらすじ
裕太・内海・六花、それぞれがアカネが作った夢の中で「アカネにとって都合のよい」日常が繰り広げられる。
しかしその違和感に気づいた3人。
夢を見せる怪獣を夢の世界ではグリッドマンが、
現実ではアシストウェポンが単独で合体したパワードゼノンがそれぞれ撃破する。
前回よりさらに自暴自棄にアカネはなっていく。
第9話「夢・想」の見どころと解説
マウンテンガリバー5号
第1話のような裕太が目を覚ますけれど記憶喪失というシーン。
目を覚ましたところにいるのは六花ではなくアカネ。
アカネがテーブルで扱っていたロボットはおそらくマウンテンガリバー5号。
マウンテンガリバー5号は(アカネのLINEのアイコンである)レギュラン星人と同様、ウルトラマンダイナの「夢オチ」回に登場します。
第9話が夢の中の話をメインに扱っていることを示唆していますね。
墓地の意味は?
目を覚ましたばかりの裕太とアカネは病院に行った後、コンビニでおはぎを食べていました。
第1話で六花と裕太がコンビニの前で食べていたのはドーナツでした。
なぜあえておはぎ?
物語中盤から後半、
アカネと裕太は2人で墓地に行きます。
なぜわざわざ墓地に?
アカネから「私って、夏の墓地って好き」という発言も。
おはぎってお供え物に使ったりもしますよね。
「アカネは実は死んでいる説」という仮説がネット界隈で若干ありますが、今回の墓地関連の強調シーンは何か意味があるのでしょうか・・・
家族がいない写真
顔は隠れていたものの、第1話では裕太の家の写真には両親が写っていました。
しかし第9話では両親そのものが写っていません。
六花とアカネが入れ換わった夢の世界では、六花ママがアカネの母親という設定ですが、瞳も写らないしなんだ無愛想。
そして六花とアカネの夢の中でもいつものようにアカネの両親の描写はなし。
アカネが関わると「親」という描写がことごく希薄になるのは何か理由があるのでしょうか?
「SSSS.GRIDMAN」の物語も後半ですが、
「アカネ、親の愛情を受けずに育った説」という仮説も捨てきれないですね。
「アカネはどこの中学?」
「アカネはどこの中学?」と聞く六花に対して、少し間をおいて「ひみつ」と答えるアカネ。
なぜアカネは夢の中で、中学時代の設定まで改変したのでしょう?
やはり中学時代に2人を疎遠にしたきっかけがあったのでしょうか?
「お前が心を持った生き物だからだ」
アンチに対して「お前が心を持った生き物だからだ」と言うキャリバー。
前回電話番号を交換したから連絡できていますね。
今回、アンチが生存していたことを知ったアカネに対して「逃げられた」と答えたアレクシスですが、明らかに逃がしていましたよね。
アレクシスがアンチをあえて逃がしたのはなぜなのか?
「心を持った生き物」であるアンチは今後どうなるのか?
このあたりが気になりますね。
飛び降りて着地するアカネ
今回もグリッドマン同盟に敗れ、精神的に追い込まれるアカネ。
力が抜けるように飛び降りてしまいますが、何事もなかったように着地します。
この世界はアカネの作った世界だから、アカネはなんでもできるのでしょうか?
それとも、
「アカネは自分の意思で死ぬことはできない」といった、作られた世界だからこその縛りがあるのでしょうか?
まとめ
パワードゼノンの初登場で、尺は短かったものの戦闘シーンも満足だった第9話。
そして戦闘シーン以上に、
「アカネがかわいそうになってくる」印象の第9話。
「やらなくちゃいけないことがある気がするんだ」
「それって私より大事なこと?」
「いや、アカネにとって大事なこと」
という裕太とアカネの会話。
アカネを救うことが、「SSSS.GRIDMAN」の命題の1つであることは確定ですね。
1~2話において問川達が怪獣の犠牲になったことを知ったのが、裕太達がグリッドマンと共に闘うことをより意識したきっかけだったわけですし、
問川のお墓を見て裕太がはっきりとグリッドマンを思い出すのもいい展開でしたね。
また、夢の中で
「こういうのに付き合ってくれる友達ずっと欲しかったんだよね」という内海のセリフはそのままアカネの気持ちを表わしているようにも思えますね。
「アカネには友達いっぱいいるじゃん」という六花のセリフも、六花を独占したいアカネの気持ちに置きかえることもできそうです。
今回の「私は友達じゃないの?」をはじめアカネは「私は~じゃないの?」と自分の価値を他人に聞くような言動が目立ちますね。
これらから、アカネの心の奥にある孤独感がみてとれます。
また、裕太とアカネが墓地に行ったとき、暑そうな雰囲気なのに10月だったり、アカネも「夏の墓地」と表現していたり、
「SSSS.GRIDMAN」の物語は暦上は秋なのに、夏の描写がほとんどであることが気になります。
個人的にアカネにもハッピーエンドになってほしいので、
「アカネ、実は亡くなっていて、だから夏までの描写しかできない説」は間違いであってほしいなあと思う今日この頃です。
その他の記事