アニメ「長門有希ちゃんの消失」がおもしろかった【レビュー】

今更ですが、アニメ「長門有希ちゃんの消失」を見ました。

おもしろかったです。


長門有希ちゃんの消失


アニメ「長門有希ちゃんの消失」とは、
涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)のスピンオフ作品になります。

スピンオフである点、製作会社が違う点から、

・作者が違う。
・登場人物は同じだが作画が違う。
・原作「涼宮ハルヒの憂鬱」とは関連性がない。
・登場人物の設定や世界観が異なる。

などがあります。


観終わってみて


「長門有希ちゃんの消失」は原作のパロディ作品であり、ギャグ的なシーンもちょこちょこ出てきます。
そのため原作と異なりもっと気楽に観れることを想定した作品っぽい。

そのためおもしろさはあったのですが、
加えて原作と同じかそれ以上に「切なかった」。

「長門有希ちゃんの消失」は胸が締め付けられるとか切なくなるとかそういう印象を受ける作品でした。


より楽しむために


「長門有希ちゃんの消失」は、原作の映画である「涼宮ハルヒの消失」が関係しています。
「涼宮ハルヒの消失」で出てくるパラレルワールドがもしも現実だったらということを踏まえて観るとさらにおもしろい。

「涼宮ハルヒの憂鬱」→「涼宮ハルヒの消失」→「長門有希ちゃんの消失」で観ることを強くお勧めします。
この順番で観ることで、「長門有希ちゃんの消失」の切なさとか感動をより味わうことができます。

補足ページ:涼宮ハルヒの憂鬱を初めてアニメで観るときの順番


以下、ネタバレ


以下、ネタバレなのでご用心。

関連して、「涼宮ハルヒの憂鬱」や「涼宮ハルヒの消失」のネタバレも若干含みますのでご注意ください。








「長門有希ちゃんの消失」という作品の切なさ


「長門有希ちゃんの消失」は観ていると切なさを感じる作品なわけですが、
その切なさとは3つあって、
・全体を通しての切なさ
・長門有希が記憶を失った時の切なさ
・涼宮ハルヒの切なさ

といった感じです。


全体を通しての切なさ


「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界では、「未来人」とか「宇宙人」とか超能力者が出てきて、それに伴ういろんな「ありえない出来事」が起こるわけです。

そんな非日常な生活は「楽しく」もありますが、
不可解な能力を持つ涼宮ハルヒの監視をしながら様々な問題に対処をしていく日々は長門有希にとって疲れる日々でもあります。

また、彼女は自分の感情を上手く感じたり伝えたり共感することができない。
何気ないことで笑ったり怒ったりそうやって送られていく平凡な日々というものを「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界の長門有希は経験できないでいるわけです。

そんな彼女が望んだ「普通の世界」が「長門有希ちゃんの消失」では描かれているわけですね。

そう考えると、「長門有希ちゃんの消失」内で起こっている様々な出来事が、「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界の長門有希がしたくてもできなかったことなんだと思えてしまう。


長門有希が記憶を失った時の切なさ


作中、長門有希が事故で一時的な記憶喪失(?)になる場面があります。
記憶喪失中の彼女は、「以前の記憶はあるがその記憶を自分のものとして感じることができない状態」になります。

長門有希の中に2つの人格が生まれてしまうわけです。
この記憶喪失中の長門有希は「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希と関連性はないものの非常に似ています。

感情表現が苦手な「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希と、
不器用なりに周囲と感情を共感できる「長門有希ちゃんの消失」の長門有希の両方の存在を観ることができるわけです。

そして「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希は、「長門有希ちゃんの消失」の長門有希のような人格を望んでいたのかもしれません。

記憶喪失後の人格は、自分がいつか消えてしまうことを自覚しながら、それでもキョンに恋をしてしまいます。
最終的に告白をして答えを聞かないまま人格は消えてしまうのですが、決して後悔はしていないような満ち足りた気持ちで消えていきます。

この告白の経緯から、観る側としては
記憶喪失中の彼女をすごく応援したくなってしまうのですが、
一方で記憶喪失後の人格を応援することは「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希が望んだ人格になることを否定するという矛盾になってしまうわけです。



涼宮ハルヒの切なさ


「長門有希ちゃんの消失」では涼宮ハルヒに原作のような不可思議な力はありません。
「個性的ではあるが普通の女子高生」なわけです。

原作と同様にハルヒはグラウンドに宇宙人に向けたメッセージを書こうとし、それをキョンに手伝ってもらいます。
下記はその後キョンと再会したハルヒの心の声。

あの頃の私は、日に日に得ていく常識の中で、失われていく非常識に、絶望していた。
でもそんなときに、嫌々でも手伝ってくれて、私に同意してくれたあんたに、私は救われたんだと思う。

長門有希ちゃんの消失 第14話より

原作にてハルヒは「言動こと非常識なものの、その根底にはちゃんと常識的な側面も備えている」ことは何度か触れられています。

そんな彼女です。
日々の中で「非常識」と「常識」の葛藤は当然見られたでしょう。
「宇宙人や未来人を絶対見つけてやる!」といった負けん気と、「実際のところは私も普通の平凡な女の子」というあきらめの気持ちがあったことでしょう。

「涼宮ハルヒの憂鬱」では実際に非日常なことが起こることもあり、上記のような葛藤はあまり扱われませんが、「長門有希ちゃんの消失」における本当に「ただの平凡な女子高生」になったハルヒからは上記のセリフのようなリアルな葛藤が読み取れて、非常に切なくなります。


まとめ


ストーリー自体は別物でつながりはないものの、
「長門有希ちゃんの消失」は「涼宮ハルヒの憂鬱」と比較しながら観ることでより楽しめる内容です。

「やっぱり非日常なことが起こると楽しいよね」という感覚と
「やっぱり平凡な日常はかけがえのないものだな」といいう感覚が自分の中で行ったり来たりしながら観てしまう作品です。






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