人生を生きていく上での戒めというか教訓というか。
1. セクハラかどうか相手に冗談交じりで聞くのは卑怯な行為
セクハラについて敏感になっている昨今ですね。
年配の人に多いのですが、
肩にポンと触れるように叩くとか、
そういうなんか微妙なことをして、
「あ、これってセクハラになっちゃうねぇ」
と冗談の口調で言って、
相手も合わせて笑ってその場が収まる。
みたいな状況があります。
こういう、
先に口に出すことで、真面目に「セクハラです」って訴えにくい状況を作る言葉って卑怯だなぁって思います。
2. 先に言われることで、言いにくくなる
「これってセクハラになっちゃうねぇ」って言うと、ちょっと自虐が入って周りに笑いが起こることってあります。
そういう冗談を言っている雰囲気になっちゃうと、真面目に「やめてください」とか「それセクハラです」とか言いにくいです。
セクハラは強い立場の人が弱い立場の人にすることが比較的多くて、だからセクハラって被害者はただでさえ言いにくい。
それなのに、さらに先回りして「これってセクハラになっちゃうねぇ」って冗談っぽく言われると被害者はもう合わせて笑うしかなくなっちゃうんですよね。
3. 言外の意味を汲み取るのがコミュニケーション
何がセクハラかっていうのは、状況によります。
正直、相手との関係性にもよります。
人間関係の築き方が下手だと、同じ言動でもセクハラになったりします。
だから人と接するときは、相手との距離感や関係性を考えながら接していくものです。
相手との距離感や関係性を考えたり、
相手の気持ちや考えを察するのは、
言葉で確認するばかりが方法じゃあありません。
その人表情とか、仕草とか、普段から言っていることととか、
そういういろんなことが情報になります。
言葉以外の情報も配慮するのがコミュニケーションです。
コミュニケーションが下手な人って、そういう言葉以外の情報を読みとるのが苦手です。
コミュニケーションが下手な人ほど、言葉で確認しようとして、その言葉が本心だと思い込みます。
けれど本来、
その場で出る言葉なんてものは状況によってある程度決まっていて、必ずしもその人の本心かと言えばそんなことはありません。
4. おわりに
「あ、これってセクハラかあ」と自虐っぽく言うのって、相手が真面目に「セクハラです」って言いにくくする卑怯な手段です。
「あ、これってセクハラかあ」みたな言葉で保険をかけるくらいなら、はじめからそういうことはしない。
老若男女問わずセクハラは誰しもが被害者・加害者になる危険性があるので、よく気をつけたいと思う今日この頃です。