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オトナ帝国の逆襲で大人が泣ける理由の考察
どんな作品のどのように感動するかは人それぞれなので、あくまで解釈の1つですが、
オトナ帝国の逆襲を見て大人が泣けるのは、本作が「過去VS未来」という構図を取っていながらも「過去」を否定はしていないある種のリアルさがあるからではないでしょうか。
解説
涙を流す大人達
オトナ帝国の逆襲において、過去から目が覚め未来を選択した大人達は、(自分で選んだにもかかわらず)涙を流したりどこか喪失感を抱えている様子が描かれています。
このように、登場人物達は未来を「選択」したものの、過去を完全には「否定」していない演出が読み取れます。
タワーでの攻防を通して、野原一家だけでなく町の住人達も「未来」を選択します。
しかしながら、ケンの解散宣言に悲しそうな顔をする住人達。中には涙を流す人もいます。
多くの大人達は未来を生きる必要性を感じながらも、その未来の残酷さやしんどさ、過去(子供時代)の懐かしさや楽しさをわかっています。
この甘美な郷愁を認めつつも、未来を選択しないといけない「大人の決断」が、観る人の共感を誘うのではないでしょうか。
ひろしの回想シーン
オトナ帝国の逆襲において、ひろしの回想シーンは涙腺崩壊ポイントの1つではないでしょうか。
仕事で疲れながらもかけがえのない家族と過ごす日々。
日常は華やかではなくしんどいことも多いですが、その積み重ねの中で家族や友人ができ、頑張ってきた自分の足跡があり、かけがえのない自分の人生が作られている。
それは日々の中では忘れてしまいがちですが、ふと振り返ったとき、「自分も頑張ってるんだな。いろんなことに支えられてきたんだな」と自分の人生を愛おしく思えます。
そういった自分の人生に対する愛着のようなものがひろしの回想シーンで想起されるのではないでしょうか。
オトナ帝国の逆襲は、日々の生活で忙殺される「オトナ」の自己肯定感を刺激してくれるのかもしれません。