社交辞令で言われても嬉しくない言葉ってあります。
本心じゃなくて、「ああ、今、相手は気を遣って言ったり聞いたりしてくれてるんだなあ」と思うと途端に自分の気持ちも冷めてしまう。人間関係って難しい。
1. カウンセリングのジレンマ
よく言われるのが、人の話を聞くときはむやみに否定せず肯定的に聞きましょう。といった類いのこと。
「ただ聞いて欲しいだけ」のときってのが人にはあって、別にアドバイスや解答を求めていはいない。
ただ「うん、そうなんだね」と聞いて欲しいときって誰にでもあります。
私自身、「ただ肯定的に聞いて軽く笑ってほしいだけのとき」ってあります。
ただ、ここで1つ難しい問題があって、
「今、相手は『この話をただ肯定的に聞いてあげよう』って私に気を遣ってるなあ」と相手の意図に気づくと途端に虚しくなってしまうということ。
相手の話をただ肯定的に聞くことを「傾聴」なんて言ったりしますが、この「自分は今、傾聴されてる~」って気づくのって恥ずかしい。
傾聴してほしいけれど、傾聴されればされるほどその対等じゃない会話に気づいて興ざめしてしまう。
個人的にはこれを、カウンセリングのジレンマなんて言ったりしています。
2. メタ認知
「認知することを認知する」状況を、心理学用語でメタ認知と言ったりします。
要するに、自分が人に愛想悪くしているときに、「あ、自分怒ってるなあ」と気づいたりすること。
メタ認知というのはものすご~く平たく言うと「自分のことを客観的に見れる」ってことです。
で、このメタ認知が働くと、「傾聴してもらっている」という状況に違和感を感じてしまうわけです。
相手に話を聞いてもらっているという申し訳なさを感じてしまう。
3. ホストにハマる人、ハマらない人
ホストにハマる人が世の中には一定数いて、一方でホストにハマらない人もいるわけです。
ホストにハマらない人の理由はいろいろありますが、そのうち1つの理由が「お金払ってまで自分のことを褒めてもらって何が楽しいの?相手はホストなんだかいい感じに言ってくるに決まってるじゃん」といったもの。
要するに、「相手はお世辞を言うってわかりきっている」って状況で何言われても嬉しくない。ってこと。
そんな感じで、相手の心理とか状況がわかりすぎるとその言葉を素直に受け止められないわけです。
4. まとめ
人は話を聞いてもらったり、褒めてもらったり、肯定してもらえると嬉しいものです。
けれどその一方で、相手の「話を聞こう」「褒めよう」「肯定しよう」という意図が見え見えだと虚しくなります。
傾聴されると嬉しいけれど、傾聴されすぎるって対等な関係じゃない。
もちろん対等な状態で相手を尊重し合える傾聴もありはするけれど。
自分の話を聞いてもらうにせよ、相手の話を聞くにせよ、この対等な感じって会話の満足感ですごく大事だと思う今日この頃です。