アニメ映画「空の青さを知る人よ」についてページです。
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井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る
「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る」とは、1つの場所・考えだけでは見識が狭まる一方で、1つの場所を追求することで見えるものもあるという意味の言葉です。
映画「空の青さを知る人よ」においては登場人物である「あかね」の生き方を主に指しています。
そして、あおい・しんの・あかね・慎之介を通して、自分の人生の「大海」と「空の青さ」について見つめ直していくのが本作のテーマであると考えられます。
作品とことわざの関連の解説
あかねの大海と空の青さ
私の主体性をそこまで疑うの?
私だって一人の人間だよ?
今での人生だって、自分で選んで、
自分で決めてきた。
誰かに振り回されたつもりなんて、
まったくないから。空の青さを知る人よより引用
映画「空の青さを知る人よ」における「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る」という言葉の意味は、複数あると考えます。
1つはあかねの生き方を指している点です。
つまり、あえて同じ場所にとどまり、大切な家族(あおい)と向き合うことで幸せを感じることができているあかねの生き方です。
これはあかねとみちんこの会話でも垣間見えます。
また、しんのがツナマヨのおにぎりが好きだと再三言っても昆布のおにぎりを作り続けたあかね。
あかねにとって、唯一の家族であるあおいの可愛さや愛おしさは一入(ひとしお)だったのでしょう。
東京という大海ではなく、家族という内側の存在に目を向けなければ感じることのできないものであり、まさに空の青さと言えます。
あおいの大海と空の青さ
後悔、私、知ってる。
好きな人の思いを、
応援できなかったら、
ずっと後悔するんだって。空の青さを知る人よより引用
一方で、東京に行ってバンドをやるという、まさに「大海」を夢見ていたあおい。
その背景には、自分の存在があかねを地元に縛り付けているのではないかという罪悪感もありました。
しかし物語の中で、
あかね本人は自己犠牲をしているつもりはなく、純粋に家族であり妹である自分を愛してくれていたのだと知ります。
また幼い頃、自分が姉と一緒にいたい一心で、あかねとしんのの上京を阻んだことにあおいは後悔していました。
大海に目が向くあまり、空の青さに目を向けることができていなかったという点で、あおいはあかねの対比として描かれています。
慎之介(しんの)の大海と空の青さ
東京行って、バンド組んでがんがんライブして、デビューして、毎日楽しくやって。
それが俺の夢だったけど、それって、あかねがいるってことが、前提だった。空の青さを知る人よより引用
しんのにとって大海はまさに夢を叶える東京であり、空の青さとは思いを寄せたあかねや、共に青春時代を過ごしたあおいを指します。
不満があるわけじゃねえ。
新渡戸さんには感謝してるよ。
音楽に携わってるだけでも、御の字だ。
でも、わざわざいろんなもん捨ててまで、出る必要があったのかはわかんねえ空の青さを知る人よより引用
大海に出るために、井戸から見る空を青さを忘れてしまうことがよかったことなのか、慎之介は疑問を持ちます。
俺さあ、俺、ちゃんと前に進んでんだと。
けど、まだ全部途中なんだ。
途中だったって、思い出した。
だから、諦めたくねぇんだ。俺も。
だから、お前のことも諦めない。空の青さを知る人よより引用
そして物語の中で、しんのは自分にとっての空の青さを見つめ直します。
補足記事