アニメ映画「心が叫びたがってるんだ。」に関するページです。
まだ見てない人向けに、ネタバレは抑え気味です。
「心が叫びたがってるんだ。」レビュー
アニメ映画「心が叫びたがってるんだ。」、おもしろかったです。
アニメにせよ映画にせよ小説にせよ、
設定や描写が細かすぎると「小難しすぎて肝心の内容が入ってこない」ってなって、
逆に設定や描写が大雑把すぎると「ツッコミどころがありすぎて感情移入できない」ってなるのかなぁと思うのですが、
「心が叫びたがってるんだ。」は設定や描写の程度が個人的にちょうど良くてすごく見やすかったです。
このへんの塩梅は、「君の名は。」とか「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」が好きな人は好きなんじゃないかなぁと。
あと、
ラストの展開が思っていたパターンと違っていて、いい意味で裏切られたのも印象的でした。
「心が叫びたがってるんだ。」とは?
位置づけ
「心が叫びたがってるんだ。」は原作がないアニメ映画です。
漫画や小説を原作とする映画もありますが、
「心が叫びたがってるんだ。」は「心が叫びたがってるんだ。」のために脚本が作られた映画です。
そのため前知識なく見ることができるのが気軽でいいですね。
アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」を作った人達が作ったので、「あの花」の小ネタが「ここさけ」にはちょこちょこあります。
ただし、
「あの花」と「ここさけ」にはストーリー上のつながりはなくて、あくまで「同じ地域の同じ時間軸での別々のお話」という設定です。
なので、別に「あの花」を見ていないと「ここさけ」の内容がわからないということはありません。
「あの花」を見ておくと、「あ、これは『あの花』のネタだな」ってニヤニヤできるくらいです。
あらすじ
幼い頃のトラウマで、言葉を発することができなくなった女の子が、クラスメイトと共にミュージカルをしようとするというお話。
「言葉を発することができない」
↓
「でも歌なら自分の気持ちを声にできる」
↓
「だからミュージカルで自分の気持ちを伝えたい」
というのが大まかな流れ。
この、
「会話は上手くできないけれど、歌なら声が出せる」という発想が言葉の障害である「吃音」に似てるなあと思いました。
吃音っていうのは「こ、こ、こんにちは」みたいに言葉が詰まったり繰り返したりする俗に言う「どもる」障害。
で、吃音の人の多くは「歌だと普段詰まる言葉も出たりする」のですが、「ここさけ」の展開はちょっとそれに似てるなぁと。
まあ、「ここさけ」の設定として吃音はまったく関係ないのですが。
良かったところ
成瀬順は、しゃべろうとするとお腹が痛くなる「玉子の呪い」のために、自分の気持ちを伝えることができません。
この成瀬を通して、クラスメイトや映画を見ている人自身が、
「成瀬がこんなに頑張ってるのに、しゃべることができる自分は『自分の言いたいことをきちんと言えているのか?』」と自問自答できる展開が深いというか考えさせられます。
成瀬だけでなく、多かれ少なかれ坂上拓実・仁藤菜月・田崎大樹も言葉を上手く伝えられなかったゆえの心の傷みたいなものを持っていて、
成瀬を通して各々がその心の傷に向き合っていく展開が見どころかと。
おわりに
高校生の成瀬は坂上との出会いを通して、「歌で自分の気持ちを伝えたい」と思うに至るわけですが、
「歌なら声を出してもお腹が痛くならない」って、
「小学校とか中学校の音楽の時間とかに気づかなかったのかな?」って個人的に思ったりしてしまいます。
たぶんこのへんの設定のざっくり加減を許容できる人は「ここさけ」をおもしろく見れて、逆に許容できない人は「ここさけ」を見てもちょっと冷めちゃうんじゃないかと。
このへんが「ここさけ」を見るか見ないか、感動できるかできないかのリトマス試験紙になるのかなあと思います。
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