小説および映画「かがみの孤城」に関するページです。
ネタバレを含みますのでご了承ください。
かがみの孤城のメッセージ
映画の解釈は人それぞれで絶対的な答えはありませんが、
個人的には「かがみの孤城」という作品は、「自分は独りじゃないと思える自己肯定感」を伝えているように思えます。
不登校であるこころ達はもう少し抽象的に見ると「自分の居場所を見出せていない」子供達であり、そういう意味では本来行きたかった中学に行けずハワイ留学したリオンも同様であると言えます。
そのような「自分の居場所を見つけられない」子供達が、どのように自分を認め他者を認め大人になっていくのか。そういった物語をかがみの孤城は描いているように思えます。
解説
不登校の子供達
主にこころの不登校を通して気づいた心にどう寄り添うかが映画では描かれます。
喜多嶋先生の対応を中心にこのあたりの配慮・展開は非常にスタンダードで、子供達の支援の形としては王道と言えるのではないでしょうか。
そういう意味で、
かがみの孤城は不登校の子供達について変化球的な知見を伝えるような作品ではないと思います。
王道の感情を丁寧に描いた万人向けの作品と言えるのではないでしょうか。
物語の中で喜多嶋先生はこころの母親にこころに寄り添うことをアドバイスし、徐々に理解が深まっていきます。
こころ以外の登場人物についても孤城での経験や実生活での周囲の配慮もあり、徐々に今後の道を見出していきます。
孤城というファンタジーな世界観が印象的な「かがみの孤城」ですが、決して「孤城での経験だけで登場人物達が大きく変わった」というわけでなく、実生活で地に足がついた大人達のサポートが描かれています。
社会との折り合いの付け方
クラスを別にしてもらったこころをはじめ、7人の結末は非常に現実的な対応で落ち着いています。
また東条萌が真田美織を批判したシーンが象徴的ですが、
かがみの孤城ではいじめた側の生徒に大きな天罰が下るわけでもなく、「むしろそういう人はどこにでもいる」ということを教訓としているように思えます。
人間関係のトラブルは冷静に対処する一方で、そういう人間をうまくかわせるしなやかさのようなものが必要なのではないでしょうか。
そしてそのためには自分を理解してくれる人に頼ったり、自分を認めてあげられる自己肯定感が必要なのだと思います。