かがみの孤城 こころへのいじめ(家襲撃)は妄想だったのか?

 小説および映画「かがみの孤城」に関するページです。
 ネタバレを含みますのでご了承ください。




こころの自宅に来た真田

映画『かがみの孤城』予告編【12月23日(金)全国公開】(松竹チャンネル/SHOCHIKUch)(youtube)より引用

 こころの家の敷地に真田達が押し入るシーンは、こころの被害妄想ではなく事実であったと考えられます。

 真田がこころの家に来るシーンはこころの視点で回想されるため、こころの内面(恐怖心)が反映されたやや抽象的なシーンとなっています。

 このため観る人によっては心的な描写が多すぎて、(真田達が庭にまで入ってきて窓ガラスを叩く行為などは)こころの妄想ではないのかと思う人もいるかもしれません。

 しかしながら物語全体の文脈を汲むと、

 真田がこころの家を襲撃した一件はこころの妄想の部分はなくほぼ事実であったのではないかと考えられます。



解説

こころへの真田のいじめ

映画『かがみの孤城』予告②主題歌編【12月23日(金)全国公開】(松竹チャンネル/SHOCHIKUch)(youtube)より引用

 真田達がこころの家に押し寄せた件は、こころがいじめにより精神的に追い詰められ不登校となる決め手となった出来事と言えます。

 池田仲太(こころを以前好きだった男子生徒)の件など真田のこころへのいじめは多数に及びますが、その中でも決定打となったのがこの自宅に押し寄せた一件です。

 こころが母親にいじめを打ち明ける際などもこの出来事は象徴的に扱われており、こころにとって「思い出すのが非常に辛い出来事」となっていることがわかります。

 真田が自宅に来たことに伴うこころの恐怖心は言わずもがなですが、冒頭で述べたように映画の演出から「これは実際にあった出来事なのか?」と観る側が解釈に迷う面も否めません。

 物語ではこの件の真相・詳細は詰めることはないまま終わりますが、物語の文脈を考えると真田が家に来たことは事実でありこころの妄想の余地はほぼなかったと考えられます。


かがみの孤城の演出

映画『かがみの孤城』予告②主題歌編【12月23日(金)全国公開】(松竹チャンネル/SHOCHIKUch)(youtube)より引用

 映画の解釈は人それぞれですが、個人的には真田の自宅襲撃事件がこころの妄想でないと考え、その理由は大きくは2つあります。

 1つは学校がこころと真田の関係性について実際的な対応を取っている点です。

 喜多嶋先生のはたらきかけもあり、次年度こころと真田達は別のクラス、伊田も担任から変えるよう学校側は配慮します。

 真田はこころへのいじめ行為についてごまかしていますから、こころ側の証言にある程度の信憑性がなければこのような対応には至らないと考えられます。

 2つ目の理由は、アキの自宅での描写も同じように抽象的に描かれている点です。

 アキが自宅で襲われる際、男性の顔は殴り書きをしたような線で上書きされています。
 これはアキの恐怖心や思い出したくない辛い出来事ということを伝える演出だと思います。
 かがみの孤城はそういった露骨なシーンを抽象化し、幅広い世代が見やすい配慮で当事者の視点を表現しています。

 このアキの出来事がアキの妄想かと言えば物語の流れを考えると難しいと思います。

 このためこころの自宅襲撃の回想も、同じく(妄想ではなく)事実をこころの視点で見たものと考えたほうが作品の一貫性があると思います。



参考資料

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