「劇場版 おいしい給食 Road to イカメシ」に関するページです。
ネタバレも含みますのでご了承ください。
「Road to イカメシ」の名言
「劇場版 おいしい給食 Road to イカメシ」において、甘利田と等々力(忍川町長)の豊かさについてのやりとりは名シーンの1つと言えます。
「個人の自由の尊重」という現代においてよく取り上げられるテーマを、本作は1980年代という世界観の中であえて描きます。
解説
甘利田と等々力の議論
豊かさとは、個人の自由を尊重するということだ。
映画『おいしい給食 Road to イカメシ』予告(AMG公式チャンネル)(youtube)より引用
(飽食など)間違った豊かさへの戒めを重んじる等々力に対し、個人の自由こそが豊かさであることを主張する甘利田。
ホワイトマンの演劇と甘利田との教室でのやりとりをきっかけに、等々力は「美味しく楽しい給食」も大切であるという考え方に変わります。
甘利田や粒来の言動は、等々力に(おそらくは偏食・好き嫌いで)給食が楽しくなかった幼少期を思い出させると同時に、そのとき食べていたカップ麺の存在の大きさを思い出させます。
おいしい給食の時代背景
劇場版に限らずですが、1980年代という一昔前を舞台に設定している「おいしい給食」。
「おいしい給食」は「一昔前の時代を描いている」という大義名分を活かして、笑いを作ったり考えさせられるシーンや感動シーンを作ったりする傾向があります。
粒来がそばめしのような物を作った際に、甘利田が将来なんか流行りそうと表現するのはそういったネタと言えます。
そして、給食を楽しもうとする粒来を咎める等々力に対し、個人の自由の尊重を主張する甘利田。
甘利田は別のシーンで(給食の完食を目指すのは悪いことではないが)完食にこだわったところで貧しい人が救われるわけではないことを指摘します。
「劇場版 おいしい給食 Road to イカメシ」は、「世の中が苦しんでいるのだから自分も苦しまないといけない(幸せそうにしてはいけない)」という、多様性の下に多様性が否定される現代への問題提起も個人的には感じます。