「プリンセスプリキュア」の神回
ストーリー構成がしっかりとされている点や作画が比較的安定している点など、大人の鑑賞にも耐えうるクオリティ。
シリーズの中でも「硬派」な作品とも言われる「Go!プリンセスプリキュア」。
プリンセスプリキュアは歴代最高傑作との意見も多いです。
そんなプリンセスプリキュアの中でも神回と評価の高いのが第39話「夢の花ひらく時! 舞え、復活のプリンセス!」です。
今日は第39話「夢の花ひらく時! 舞え、復活のプリンセス!」の名言を。
第39話「夢の花ひらく時! 舞え、復活のプリンセス!」名言
幼い頃のはるか「私、プリンセスになりたい」
母「プリンセス?」
幼い頃のはるか「うん。花の、プリンセス」
母「へえ。どうして?」
幼い頃のはるか「キラキラ、かわいいから」はるか(それだけ?)
幼い頃のカナタ「それじゃあ、これをあげるよ」
幼い頃のはるか「これ、なに?」
幼い頃のカナタ「君の夢のお守りさ」父「プリンセスかあ。また変わった夢を持っちゃったなあ」
母「いいじゃない。それではるかが元気に育ってくれるなら。どんな夢だって」「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
絶望したはるかがそもそもなぜ「プリンセスになりたい」のかということについての回想シーン。
プリンセスプリキュアの第39話は「夢」に関するメッセージ性が非常に強い話。
そんな第39話において中心となるメッセージは2つあり、
どんなに大切な夢もそのきっかけは些細なもの(でいい)ということ。
もう1つは
夢は自分が望むものであって、誰かに否定されたから安易にやめるものではない。
というもの。
上記の回想シーンは前者のメッセージが含まれ、はるかが夢への思いを再認識するシーンですね。
また、どんなに大切な夢もきっかけは些細なもの。
だからこそ些細なきっかけからできた子供の夢を見守ってあげるという親のスタンスの大切さがはるかのお母さんの言葉からわかります。
すまない。傷つく君を、助けたかった。ただ、それだけだったのに。
僕が一番、君を傷つけてしまった。
本当に、すまない「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
前話にてはるかの夢を否定したことを謝るカナタ。
夢を否定する人も、その人を思う故の言動であるということがわかるシーン。
カナタ、私ね、夢があったからここまで来られた。みんなとも出会えた。
夢を失くすなんて、諦めるなんてできない。
たとえ、カナタにやめろって言われても。
私は、プリンセスを目指すよ。「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
そして、「誰かに賛成される反対される」に関わらず、「自分が望んで夢を持つこと」を再認識したはるか。
やっと、僕にもわかった。
夢は、君の、全部なんだね。
それなら、君が笑顔でいられるように、僕は。「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
そんなはるかに、カナタも理解を示します。
クローズ「お前に今さら何ができる」
はるか「みんなの、そして私の、夢を守る。
ありがとう。あなたが夢見てくれたから、私いま、こんなにも幸せだよ」「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
夢があったから今の自分がある。
幼い頃を振り返り、幼い頃の純粋な自分に感謝するはるか。
きらら「ごめん」
みなみ「あなたを一人にしてしまったばかりに、こんな」
はるか「でも、それってみなみさんも、きららちゃんも、私を信じてくれてたからですよね。私、ちゃんとわかってます」「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
変身後なのに、変身前の名前で呼び合う胸熱シーンですね。
自分の夢だけでなく、他の人の夢も尊重するのが「プリンセスプリキュア」の「夢」に対するメッセージの1つ。
ゆえに「プリンセスプリキュア」は他のプリキュアシリーズと異なり、「いつでもみんな一緒」というよりは「それぞれの道を歩むことを応援する」というスタンスがより強調されています。
トワ「まったくあなたは、落ち込んでたと思ったら、一人で、立ち直るなんて」
はるか「一人じゃないよ、トワちゃん。みんながいてくれたから、立ち上がれる、私がいるの」「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
自力で立ち直っても、その背景には支えてくれるたくさんの人がいる。
「支えられている」のであって「依存していない」人間関係の大切さがわかるシーンですね。
クローズ「夢を取り戻したってのか!だが夢はまたお前を追い詰めるぞ」
フローラ「それでもいい!自分で決めた夢だもん。痛いのも、苦しいのも、全部受け止めて、私はプリンセスになる!」
「Go!プリンセスプリキュア 第39話」より引用
そして、夢を叶えることは楽しいことばかりでなく、時につらいこともあるということを受け入れ成長したはるか。