小説および映画「かがみの孤城」に関するページです。
ネタバレを含みますのでご了承ください。
安西こころの記憶は消えたのか?
こころも含め7人の記憶が最終的に消えたのか否かは言及されず物語は終わります。
このため解釈は人それぞれで絶対的な正解はありませんが、各描写を踏まえると
孤城での記憶はこころの中から消えていると考えるのが妥当と考えます。
解説
こころの記憶の描写
こころは新年度の通学路でリオンと再会しますが、その際は面識がないような戸惑いを見せています。
これまで不登校であった経緯と元々の内気な性格を差し引いても、リオンを見たときのこころは(積極的に話しかけるリオンに対して)なんとも他人行儀な様子を感じます。
また入場者特典であるポストカードに描かれた「その後」の中で、こころがリオンの家にある(孤城のモデルとなった)姉のドールハウスを見せるシーンがあります。
このときのこころの表情は「あのとき過ごした孤城」という懐かしさというより「初めて見るゆえの好奇心」といった様子です。
このように言及はされないものの、全体の雰囲気としては(リオンは記憶が残っている素振りがあり)こころは記憶が消えている様子が読み取れます。
こころの記憶が消えた理由
これは少し飛躍した解釈ですが、
こころ達の精神的な成長のためには、孤城での記憶は消えるべきであったという考え方もあると思います。
孤城には「学校に行きたくても行けない」=「自分の居場所を見出せない」中学生の子達が集められました。
そして「かがみの孤城」はそういった思春期の子供達がどのように人と関り、自己肯定感を獲得し、自分の居場所を見出していくかを描いています。
物語の中でこころ達は「大丈夫」と思える気持ちや自己肯定感、人に助けを求めたり本心を話す勇気を獲得していったように感じます。
不登校であったこころ達の心にとって必要だったのは、「自己肯定感(=自分を認めてあげる根拠のない自信)」だったのではないでしょうか。
そしてこの「根拠のない自信」を持つためには、「孤城で過ごしたみんながこの世界にいる」という「根拠(記憶)」がない状態で新たな一歩を踏み出すことが必要だったのではないでしょうか。
このように考えると、ハワイに留学という唯一不登校ではなかったリオンのみ記憶が残っている様子が見られることも筋が通るのではと思います。