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最終回に登場した手紙
チ。 ―地球の運動について― 第25話『?』(ABEMA)より引用
「チ。-地球の運動について-」の最終回、ポトツキ宛とされる手紙が登場します。
この手紙はアルベルトに地動説の発想を与えるわけですが、同時に視聴者に対して歴史認識を促すメタ的な役割を持っていたと考えられます。
以下もう少し具体的に、最終回に登場した手紙の正体や意味について考察していきます。
解説
ドゥラカが伝書鳩に託した手紙
チ。 ―地球の運動について― 第20話 私は、地動説を愛している(ABEMA)より引用
ドゥラカが伝書鳩で送ったヨレンタの手紙。
この手紙は「地動説の本の利益の1割をポトツキに渡す」という内容になります。
元をたどればこれはラファウの意向であり、(バデーニはその手紙を燃やしますが)オクジーが本に記載。ドゥラカの記憶から本を復元したヨレンタが手紙にしてドゥラカに託します。
最終章の手紙はドゥラカの手紙なのか?
チ。 ―地球の運動について― 第24話 タウマゼインを(ABEMA)より引用
最終章に登場した手紙は、第3章でドゥラカが必死に送った手紙なのでしょうか?
確かに「ポトツキ宛の手紙だがポトツキという人物はいない」「住所は合っている」「本は入っていない。発行時期も具体的でない」など、共通点は多いです。
明らかに最終章に登場した手紙は、ドゥラカらの手紙と解釈できるような描き方をしています。
しかしながら、第1~3章の舞台は「P王国」、最終章はポーランド。
最終章はこれまでと別の世界線と考えられます。
最終章は明らかに別人と思えるラファウが登場します。
(ラファウは明らかに第1章で死んでいる、仮に生きていてもそこから第3章および最終章は少なくとも35年以上経っていて容姿と年齢が矛盾する)
このラファウは明らかにパラレルワールドあるいはIFルートのラファウ、つまりスターシステム的な登場と思います。
(アニメなどで同じキャラクターデザインの人物を設定を変えて再登場させる手法)
同様に、「ポトツキ宛の手紙」というアイテム・出来事も本作におけるスターシステム的な描写だと思います。
つまり最終章は世界線が異なるため手紙もドゥラカの物ではなく、「(視聴者目線で)そう見える手紙」にとどまると考えられます。
なぜ人はアニメの結末を時系列でとらえるのか
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なぜ、人は個別の事象を時系列でとらえるのか?
なぜ、人は歴史を見出すことを強制される認識の構造をしているのか?チ。 ―地球の運動について― 第20話 私は、地動説を愛している(ABEMA)より引用
最終回の手紙は「(断定はできないけれど)ドゥラカの手紙に思える」というのは、本作の教訓を表していると思います。
ラファウ達は地動説という発想を得ることで感動を得ます。
つまり「チ。」は、「同じ景色でも認識を変えることで世界が違って見える」登場人物達を描きます。
本作において第1~3章までと最終章の関係性は説明されず、解釈を残す形で終わります。
このため最終回の手紙も「たまたまポトツキという名前が同じだけの、ドゥラカらの手紙とはまったく別物」という解釈もできないことはありません。
しかしそれでも視聴者はラファウ達の感動が細い糸のようにつながってアルベルトに届いたと思ってしまいます。
個別の事象を時系列でとらえ意味を見出す認識の構造を、視聴者も実感できる装置として最終回の手紙ははたらいているとも思います。
チ。-最終回の解説について-