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「チ。」第12話の名言集
チ。 ―地球の運動について― 第12話 俺は、地動説を信仰してる(ABEMA)より引用
アニメ「チ。-地球の運動について-」の第12話、「俺は、地動説を信仰してる」の名言を見ていきます。
解説
あまり他人を排除しすぎると、間違いに気づきにくくなるのでは
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あの、あまり他人を排除しすぎると、間違いに気づきにくくなるのでは。
それは研究にとって良くないんじゃ……
(中略)
自らが間違っている可能性を肯定する姿勢こそが、学術とか研究には大切なんじゃないかってことです。
第三者による反論が許されないなら、それは…… 信仰だ。
信仰の尊さは、理論や理屈を超えたところにあると思いますが、それは研究とすみ分けられるべきでは?
そして、反論してもらうには他人が重要なので、あまり排除するのは……チ。 ―地球の運動について― 第12話 俺は、地動説を信仰してる(ABEMA)より引用
オクジーとバデーニの会話にて。
資料を燃やすバデーニに対するオクジーの考え。
いつもはオクジーの言葉に耳も貸さないバデーニが、話の続きを促すのが印象的なシーンです。
オクジーらと接する中で、バデーニも少しずつ変わっており、その変化がまたいい第2章。
反論や訂正をされることが、託すことの本質というか
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でも、実は、むしろ反論や訂正をされることが、託すことの本質というか。
自分の思い通りいかない、誤解とか事故とか、予想外の存在とか。
それこそ、信徒にとって異端者が、天動説にとっての地動説が、そういう他者が引き起こすねじれが、現状を前に向かわせる希望なのかもしれないって、思ったんです。チ。 ―地球の運動について― 第12話 俺は、地動説を信仰してる(ABEMA)より引用
訂正や反論が現状を前に向かわせる。
つまり敵対する存在・思想も必要なものであると考えるオクジー。
このあたりの考え方は第3章のラファウからも似た発言が見られ、作者が考える本作の思想の1つではないかと思います。
俺は、地動説を信仰してる
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今はこの感動を守るために、地獄へ行ける。
(中略)
俺は、地動説を信仰してる。チ。 ―地球の運動について― 第12話 俺は、地動説を信仰してる(ABEMA)より引用
バデーニを逃がすために自ら時間稼ぎのためおとりになることを選ぶオクジー。
あれだけネガティブ・優柔不断だったオクジーが、これだけ強い意志で決断する様子がまさに変化と言えます。
この第11話、最初にオクジーはバデーニに研究(や学術)と信仰を分けて考えることを促します。
その後に自分は地動説を「信仰」していると認めるオクジー。
本作は一見すると地動説という科学がこれまでの宗教観に立ち向かう話のように思えます。
しかし実際は科学と宗教、どちらも人にとって重要でありどちらも人の心を動かすものと描いているように思えます。
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