小説および映画「かがみの孤城」に関するページです。
ネタバレを含みますのでご了承ください。
こころの担任である伊田先生
真田の肩を持つような発言・対応からこころとこころの母親から信頼を失った担任の伊田先生。
こころをさらに追い詰めかねない不適切な対応を行ったわけですが、母親と喜多嶋先生の理性的な対応で最悪の事態は避けることができます。
こころの担任を変えるよう学校側が配慮したことを考えると、学校での伊田先生の評価は下がったことが予想できるでしょう。
解説
伊田先生の落ち度
伊田先生の落ち度は想像力を持ってこころに寄り添えなかった軽率さであったと思います。
真田から話を聞いたりこころの家に行ったりと、伊田先生は「何もしなかった」わけではありませんがいずれも表面的で芯を食った対応とは言い難い様子がありました。
もちろん伊田先生は悪意を持ってこころに接していたわけではありませんが、こころや母親という「当事者」からすると伊田先生は話が軽率で噛み合わない様子があったのだと思います。
このズレている感じ、埒が明かない感じが物語における伊田先生という存在の立ち位置だったのではないかと思います。
伊田先生のその後
こころの担任を外された様子を踏まえると、伊田先生は学校で「生徒への対応を適切にできなかった」と評価されていることは想像に難くないでしょう。
この背景には安西家が保護者だけでなく心の教室(フリースクール)という別の機関と一緒に行動をしたことが大きく、これは「かがみの孤城」という作品の重要なメッセージの1つだと思います。
学校にとって「いじめ」というのは耳が痛い出来事ですから、伊田先生のような事なかれ主義になってしまうのは非常に残念な必然とも言えます。
これに対して保護者が保護者だけで学校という組織に立ち向かうのはなかなか骨が折れることでしょう。
しかしながら、フリースクールなどの「専門家」が客観的に間に入ることで状況はまた変わると思います。
安西家に喜多嶋先生を含む心の教室がついたことで、学校は心の教室とのやりとりも生じます。つまり組織と個人のやりとりではなく組織と組織のやりとりになります。
結果として学校はより客観的な対応を取る必要があり、伊田先生の人事という形で対応することになります。
フリースクールのような子供達を支援する場所では各学校の体制や傾向もある程度把握するでしょうから、今回の件で「雪科第五中学校の伊田」という教師の不手際は申し送られ、学校側も軽率な対応は取りにくくなるのではないでしょうか。