アルベルトの決意
チ。 ―地球の運動について― 第25話『?』(ABEMA)より引用
自分の中に好奇心があることを理解しつつ、父と先生(ラファウ)の一件からその好奇心を肯定できなかったアルベルト。
しかし司教との対話を通し、「疑念と信念を両立させる」という考えを得ることができます。
こうしてアルベルトは父とラファウをある意味で反面教師とし、2人とは別の方法を模索するため大学へ進みます。
解説
この世で、再び生きるために
司教「硬貨を捧げれば、パンを得られる。
税を捧げれば、権利を得られる。
労働を捧げれば、報酬を得られる。
なら一体、何を捧げれば、
この世の全てを知れる、と思いますか?
その答えを探してください」アルベルト「なんのために?」
司教「この世で、再び生きるために」
チ。 ―地球の運動について― 第25話『?』(ABEMA)より引用
「硬貨を捧げれば……」という第1話でも出てきたセリフが改めて語られる最終回。
「この世で、再び生きるために」というセリフから、司教も(パン屋の親方と同様)自身の知的好奇心から目を背けているアルベルトは「らいくない」と考えている様子。
アルベルトの決意
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先生、この世の美しさを追求したい。
そのために、何か犠牲になっても構わない。
はっきり言って、僕も同意見です。
だけどあなたのやり方では、美しさに到達できなかった。
この世の全てを知るために、何を捧げればいいかなんてわからない。
けど、隠そうとする父さんも、排除しようとする先生も、有効じゃなかったことだけは確かだ。
僕らは足りない。
だから補い合える。
そうじゃなきゃ、この世界には挑めない。
人間は、社会的な動物だ。
先生、僕もタウマゼインを感じます。
それを肯定し続けます。
あなたとは違ったやり方で。
疑いながら進んで、信じながら戻って。
美しさに、煌めきに、迫りつめてみせます。チ。 ―地球の運動について― 第25話『?』(ABEMA)より引用
司教との対話を通して、自分と向き合うことができたアルベルト。
ドゥラカなどもそうですが、「チ。」の登場人物は自分に影響を与えた人物の存在について切り分けて考えるのがすごいなと思います。
本来ラファウはアルベルトにとって父を殺した憎むべき存在でもあるのでしょうが、それでも自分の知的好奇心を全面肯定してくれたゆえに特別な思いがある様子。
だからこそ、「隠そうとする父さんも、排除しようとする先生も」と並列で語ることができるのでしょう。
いずれにせよ、父ともラファウとも違う知の探究の仕方をアルベルトは模索する決意をします。
第25話の名言