漫画「月曜日の友達」に関するページです。
ネタバレも含みますのでご了承ください。
水谷と月野は付き合ったのか?
思春期の葛藤を綺麗な文体とコントラストが美しいデザインで描いた漫画「月曜日の友達」。
メインの登場人物である水谷と月野。
2人のラストシーンは意味深というかいろんな解釈ができる終わり方をします。
全体を通して2人が互いに好意を持っていた様子が明らかで、2人のその後の関係が気になりますが、本編では明確な描かれ方はしていません。
全体の流れや作風を考慮すると、あくまで解釈の1つですが、
水谷と月野はその後も友達以上恋人未満の関係を続け、そして互いの進路に進みながらだんだんと疎遠になっていったのではないかと思います。
「月曜日の友達」の作風
物語全体を見ると、月野と水谷が互いを意識していたのは明らかです。
その一方で、作中では「友達」という言葉が頻繁に登場します。
「月曜日の友達」は、周囲に馴染めない者同士が、その疎外感を共有できる「友達」と出会ったときの嬉しさと切なさを描いているように思えます。
「嬉しさ」とは当然ながら思いを「共有」できることへの嬉しさですね。
一方で、「切なさ」というのも2人にとって重要な感情だと思います。
人は変わっていくものです。
ただでさえ中学生という時期は価値観も変化していきますし、進学などで物理的に生活環境が変わることもあります。
作中、水谷や月野は自分達は「周りと比べて変わっているけれど、特別ではない」という感じます。
本を読んだり考えることが得意な2人です。
きっと、水谷も月野も、今の2人の関係性が心地良いの事実だけれど、この関係・この価値観がずっと続くわけではないと心のどこかでわかっていたのではないでしょうか。
この、変化してくことを受け入れているけれど確かに感じる切なさを、「月曜日の友達」は描いているように思えます。
友達としての2人と、恋人としての2人
「月曜日の友達」2巻、2人のラストシーンとも言える第7話の終盤。
君がいつか大人になったときにふと、
時々でももし、この町で働いている俺のことを思い出してくれたなら、
それはどれだけ大きな幸いだろうと思う。けれどもし君が、
道を歩いている自分の傍に君がいてくれたなら、
それはどれだけ美しいことだろう。
そんなことを夢見てしまうんだ。
月野「月曜日の友達 2」より引用
言葉は婉曲な表現をしていますが、
ほぼほぼ月野から水谷への告白ですね。
その一方で、水谷が自分の隣にいない未来を想定していることが、前半のセリフからわかります。
しかしながら、この言葉に対して水谷が何かを言ったか言わなかったのかは本編では描かれてはいません。
とは言うものの、この直前、
二年生になっても違うクラスになっても卒業して別々の高校になっても大人になっても、
私たち友達だよな。ずっと一緒だよな。
水谷「月曜日の友達 2」より引用
と水谷は月野に言います。
これは水谷が月野を恋愛対象として見ていないという単純な話ではなくて、
おそらく水谷も今の関係性がいずれ終わりがくること、それを「恋人になる」というかたちで延長させてもそのときの2人の関係は今とは違うものでしかないことを悟っていたのではないでしょうか。
そしてこの言葉を聞いた月野は、先ほどの告白をし、
水谷の気持ちを知っているから返答も求めなかったのではないでしょうか。
お前はまた笑った。
今度は少し切なげな目をして、笑ったんだ。水谷「月曜日の友達 2」より引用
そして2人は超能力で空を飛ぶ経験から、校庭に戻ってきます。
不思議な体験を終えた2人のやりとりの中、水谷の頭の中で上記のようなセリフが。
2人の友達としての関係性は長くは続かない。
そして「恋人」になったとしても今のような心の葛藤を共有できる関係性ではいられない。
月野は水谷との今の関係が永遠には続かないことを確信します。
「思い出」を大切にする価値観を持つ月野は、かけがえのない思い出ができたことに対して「切なく」笑ったのではないでしょうか。
おわりに
「月曜日の友達」はラストに何かを明言したような作品ではないので、解釈は人それぞれだし、人それぞれの解釈で楽しむのがいいのかなと思います。
そして個人的には、
「月曜日の友達」は単純な男の子と女の子が恋人になる過程を描いた恋愛作品ではないように感じます。
そういった印象から、
人生の最も感受性の高い時期を「友達」として共有できた水谷と月野の幸いを描いているように思えます。
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